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2007年6月11日 第166回国会 文教科学委員会
政府案「学校教育法等の一部を改正する法律案」
民主党案「学校教育の環境の整備推進による教育の振興に関する法律案」等

水戸地方公聴会
水戸市 ホテルテラスザガーデン水戸
公述人
 鯨岡  武 水戸市教育委員会教育長
 池田 賢市 中央大学文学部教授
 根本健一郎 元神栖市立神栖第三中学校校長

公述人意見聴取

政府の教育3法案は、教育改革に適切
運用では、十分に学校、地教委の総意を生かす弾力的なものに

水戸市教育委員会教育長 鯨岡  武 

公述人・鯨岡 武・水戸市教育委員会教育長
 私は、ただいまご紹介いただきました水戸市の教育長と茨城県市町村教育長協議会の会長を仰せつかっております鯨岡でございます。
 本日、このような重要な場で教育3法の改正に関する意見を述べる機会をいただきましたことに、深く感謝を申し上げる次第でございます。
 様ざまな教育に関する問題について、現状のままではいけないと考える方々が多くいて、教育基本法の改正、そしてこのたびの教育3法の改正へという流れになっているのだと認識しております。地方教育行政の責任ある立場で、日ごろ考えておりますことの一端を、また政府提出の教育3法案に対して大枠で賛成するという立場から、こうあってほしいという私見も添えまして、実践の日々のなかで感じておりますことを申し述べさせていただきます。
 まず、学校教育法の改正案について意見を申し述べます。
 今回、新設で提案された政府案の義務教育の目標は、新しい教育基本法の理念を踏まえまして、家族と家庭の役割、規範意識を身につけさせることなど、いまの学校教育の課題について新たに盛り込まれましたことは大変適切な内容であると考えます。今後はこれを踏まえた学習指導要領の具体的な改訂作業が進められるわけでありますが、法律であまり細かく規定するのではなく、地教委や各学校の創意が生かせるできるだけ緩やかな枠組みの部分があっていいのではというふうに願っております。
 例えば、資料でお配りいたしました水戸市における授業時数増加のための施策についてご説明を申し上げます。
 学校5日制が実現した時点で、夏休み、冬休み、春休みはそのまま休みで、さらに毎週土曜日が休みになりまして、随分学校の休みが多くなったなという実感がございました。多分、授業日は200日に至らないはずでございます。さらに、それに総合的学習の時間が週3時間入りまして、これでは教科の授業時間数が足りなくなるなという実感を持っておりました。そこで、私が教育長に就任すると同時に、資料のような施策を校長会等に提示して、十分に検討を重ね、合意形成を得た上で実践をしたものがその資料の時数でございます。
 要するに、夏休み、冬休みの長期休業日を少し削りまして、さらに標準の週時程の時間数より週1時間ほど多く授業時数を確保する施策を実践いたしました。夏休み等の長期休業日は、いずれにしても教職員は出勤日ですので、この長期休業中に授業をすることは何の問題もございません。土曜日を授業とする案がいま再浮上しているようでございますが、これは法律、労基法でございますが、それにうたわれております週40時間の労働時間を超えないということに私は少し抵触することになるんではないかというふうに思っております。ILO等に訴える等の問題が生じないかというような心配もしているわけでございますが。
 問題は、夏休みの短縮でございます。暑さ対策をどうするのかという問題でございますが、水戸市は全教室の天井に扇風機を設置することで、この問題をクリアできました。いまの時代に扇風機とはとお思いになる方もおられるでしょうが、各教室の天井に四つ取りつけますと想像以上に涼しくなります。空気の流れというのは非常に大事だなと強く思います。もちろん、工事費もエアコンの設置に比べますとはるかに安くできます。教室にエアコンを設置することには私は反対でございます。外に出て遊ぶ子どもたちが多分いなくなってしまいます、夏の時期ですね。このような工夫でかなりの授業時数が確保できることが実証されました。このことは全国共通でできるのではないかと思いまして、大変僣越(せんえつ)かとは存じますが、こういった方法もあるのかなと、時間確保ですね。土曜日を登校日にする方法ももちろんあるかと思います。あと、長期休業日の調整という方法もあるんではないかなというふうに思っております。時間数は配付されております資料にありますので、お読みいただければと思います。
 続きまして、ゆとり教育のシンボルとみなされております総合的な学習の時間の取扱いでございますが、理想としてはよいのであろうと思います。しかし、残念ながら、この理想を実現するのには時間とお金が足りないと感じます。一番の問題は人手が足らないということであります。最初は情熱を持って取り組んでいる先生方がだんだん疲れてきてしまうという状況がございます。その結果、どうしても、まあ言ってみれば惰性に流れた時間の取扱いになってしまって、生き生きした授業がつくり出されていない状況も場合によってはあると。
 総合の時間の最大の欠点は、そのような状況からくる、時には指導の緩みにつながってしまうのではないかと思うのですが、指導の緩みが出てしまったり、授業を受ける側の緩みが出てしまうことが、様ざまな問題として生じてきているということをかねがね私は感じております。まして、中学校に至ってはこれに選択教科がありますので、二重の指導の時間数の確保の問題、場合によっては緩みといったようなものが生じてくるのではないかと考えます。
 したがいまして、総合の時間を今後とも続けるという方向は示されておりますので、内容を変えていくことが必要なのではないかというふうに考えます。つまり、大きな意味で教科の発展の時間として取り扱うことにシフトしていった方がよいのではないかと考えます。現行の指導要領でも教科横断的に実施するようにとうたっておりますので、現実的な改革を望みます。特に、中学校の選択教科と総合につきましては一本化もよいのではないかなというふうなことを考えております。
 次に、道徳の時間の取扱いでございますが、教育再生会議の第2次報告にもございますように、多様な教科書と副教材を機能に応じて使う、ふるさと、日本、世界の偉人伝や古典などを通じて他者や自然を尊ぶこと、芸術・文化・スポーツ活動を通じた感動などに十分配慮したものを使用するなどの報告がございましたが、私は、現行の副読本を使用した体制で新しい教育基本法の理念を踏まえた教材を準備できるものと確信しておるものでございます。
 これは水戸版の副読本でございますが、1部しか用意できませんでしたが、こういった中身は再生会議が期待する内容であふれております。日本国中どこでも、これまで積み重ねてきた立派な副読本がございます。総合の時間等をもう一度整理して、道徳の時間をしっかり確保できるような体制づくりが必要なのではないかなと。要するに、道徳の時間というのは、私は非常に大切だと思っております。したがいまして、全国で試みているこういった副読本ですね、後でごらんになっていただければと思うのですが、非常に立派なものがございまして、期待されている内容が盛り込まれているというふうに考えております。
 さらに、地方教育行政法の改正について申し述べます。
 現状は、教育委員、教育長に預けられている権限があまりに広範囲で、学校教育になかなか専念できないという悩みがございますが、一方で、これらがすべて首長の権限に入ることにつきましては、首長の責任があまりにも膨大になり、危険な問題に遭遇する度合いも増すと考えます。教育につきましては、権限を分散して、レイマンコントロール(教育の素人による民衆統制)が維持できる体制を保持できますよう切に願うものであります。
 あわせまして、教育予算の割合が先進諸国30ヵ国中、現在最下位になっているという状況につきましても、聖域なき行財政改革とはいいながらも改善の方向にご努力をいただきますようお願い申し上げる次第でございます。
 5点目に、副校長などの新しい職の設置についてでございますが、なべぶた型の学校組織が、学校が抱える様ざまな課題に機動的に対応できる組織への転換を図るという点で適切なものであると考えます。免許更新制につきましても同様に考えます。ただ、これらを実施することによって教師という職業が魅力のない職業になっては困るというふうに考えます。優秀な人材が集まるような運用を願います。
 最後に、最近モンスターペアレント(担任教師や学校に、自分の子に関する「理不尽な苦情」や「無理難題」をつきつける保護者)などと称されている一部の、まあごく一部のでございますが、保護者の実態をかんがみて、その改善を促す方策について私の持論をご提案申し上げます。それは、全保護者による学校奉仕のためのボランティア休暇の創設についてでございます。新教育基本法にもございますように、家族、家庭の役割の重要性について改めて強調されている現状から、この提言を申し上げる次第でございます。
 授業参観日等で、単時間の授業を親が、ご両親が見て、自分の子どもの教室での実態を理解することはなかなかできません。学校へ1日、できれば2日ぐらい張りついていただいて奉仕することによりまして、それから1日じゅう子どもと一緒に生活することによりまして、給食も清掃も授業も一緒に受けることによって自分の子どもの実態が見えてくると思います。40人の学級の子どもを見る担任の苦労が見えてくると思います。
 水戸市は、「学校へようこそ」という授業をいま展開しておりますが、それではまだ不十分であるというふうに私は思っております。働くご両親に企業や行政がボランティア休暇を与えまして、集団のなかで生活する自分の子どもの実態を知る機会を与えることができるような法改正をできればと、まあ夢のようなことを考えておりますが、私の本音でございます。ぜひ話題にしていただければ幸いでございます。
 以上、教育改革は何が何でもやらなければならないことが山積しております。政府の教育3法につきましては、それにこたえる内容のものであって、適切であるというふうに私は思っております。ただし、運用につきましては、十分に学校や地教委の総意を生かす弾力的なものであってほしいというふうに願います。
 大変つたない公述になりましたが、以上をもって私の意見陳述を終わらせていただきます。


学教法の改正案は、人格の完成や個人の尊厳ではなく、
個人が、国家、社会にいかに貢献するかに重きが置かれているのでは

中央大学文学部教授 池田 賢市 

公述人・池田 賢市・中央大学文学部教授
 今回、多くの改正案がありますけれども、そのなかで学校教育法改正案を中心にして、その問題点や懸念されることについて発言をさせていただきたいと思います。
 まず、学校教育法そのものの問題点に入る前に、私自身がどんな観点から学校という場をとらえているかということを確認させていただきたいと思います。
 レジュメの「はじめに」というところの[1]なんですけれども、まず第1に、子どもたちが安心して過ごせる場所でなければいけないと、安心はゆとりからということで、いろいろ言われていますけれども、ゆとりがやはりキータームになるだろうということです。
 それから、二番目に、社会参加あるいは社会形成を可能とする力の育成をする場所だということです。これを学力と呼んでもよいのかもしれません。
 つい最近、レジュメの一番最後にとじてあるのですけれども、カラーコピーになっておりますが、ユニセフの調査をインターネットで知りました。その調査の概要等については詳しく把握しておりませんし、またデータにつきましても詳しい分析力は持っておりませんが、この調査によると、15歳の日本の子どもたちの約30%は自分が孤独だと感じているということです。アイ・フィール・ロンリーというふうになっています。調査の時の翻訳の問題とか様ざまな要因があって、あれこれと憶測を重ねることはしませんが、少なくとも他の国の子どもたちが大体5%から10%の間で推移していることを思うと、かなり極端に多いということです。きっと何か子どもたちの内側に、特に人間関係において大きな問題を抱えているんじゃないかとか、学校で安心して過ごしているんだろうかというふうなことを少し感じた次第であります。
 このようなことを前提にいたしまして、やや先取り的ですけれども、今回の学校教育法の改正案の問題点、あるいは懸念事項を一言で表すならば、それは人格の完成や個人の尊厳といった方向よりも、その個人が国家、社会にいかに貢献するかという点に重きが置かれているのではないかということであります。
 さて、具体的な問題点の指摘としては、まず形式的な、あるいは単純な発想から気になる点が三つほどありました。時間の関係で詳しくは述べませんが、レジュメにはあります。例えば幼稚園のところの目的を見ると、その幼稚園の目的は明確に義務教育の基礎というふうに位置づけられていますけれども、現場レベルで求められている幼保一元化という動きに対して、かなり難しい調整を迫られるのじゃないかということが一つ考えられるかと思います。
 では、学校教育法改正案について大きく三つに問題点を分けて指摘していきたいと思います。
 まず一つが教育目的、目標に関する問題です。
 各学校段階の教育目標において、社会の発展等に寄与する態度を養うということが規定されていますが、このような目標の達成を評価しようとする場合に、一体何が寄与すると言えるのか、あるいは寄与する態度とは何か、その判断は実際には非常に難しいということです。そのときは寄与していないかに見えて、実は後から考えると大きな役割を果たしていたとかということは日常的によくあることです。
 ですが、仮に判断できるとしても、新たな問題が発生してきます。未来において民主的な合意によって形成されていくはずの国家、社会、そして郷土に関して、改正案はそれらを形容する言葉、例えば豊かな人間性、創造性及び健やかな身体を備えた国家及び社会といったような表現をつけています。そして、そのような社会の発展に貢献する態度の育成ということになってくるわけですが、ここでは人格の完成が向かうべき方向性があらかじめ規定されているということになります。これは、たとえその内容が少なくとも現時点においては良いものであったとしても、そのこととは、また独立の問題ということになります。
 どのような社会をつくっていくかは未来に任された課題であります。もちろん、どのように形成してもよいというわけではなくて、そのベースには当然、平和、人権、民主主義という思想が不可欠だということは言うまでもありません。そのような意識を十分に培ってこそ、人びとは自ら社会をつくっていくことができる。社会を形成していける力というのはこういう意味であります。民主主義という国のあり方を取っている限り、子どもたちがその人格、個性の開花とともにどのような国家、社会の形成を目指すのかということの規定に関しては、少なくとも公権力の側、具体的には法律の規定においては禁欲的でなくてはならないのではないかと思っています。
 このような将来の方向性についての問題は、例えば幼稚園や高等学校の目的のなかに象徴的に現れています。そこでは、手段と目的が逆転されています。
 レジュメの2枚目になります。
 幼稚園のところでは、「日常の会話や、絵本、童話等に親しむことを通じて、言葉の使い方を正しく導くとともに、相手の話を理解しようとする態度を養うこと。」と改正案にはありますが、現行法は、「言語の使い方を正しく導き、童話、絵本等に対する興味を養うこと。」となっています。つまり、目的であったはずの絵本への興味というのが手段に位置づけられて、それを通じて言葉の正しい使い方とか相手の話をよく聞きましょうといった規範的、道徳的指導を目的に据えるという、そういう形になっているということであります。
 要するに、単に子どもたちが何かに興味を抱いたり、個性を確立していくだけでは十分ではなくて、あるいはそれ自体が目的ではなくて、その興味や個性がどんな方向に進み、どこに着地しなければならないかまであらかじめ法律で決めているということにならないかどうかということです。子どもたちが自らの自由な発想で将来において社会を形成していく、そのプロセスを改正案は断ち切ることになりはしないかという、そういう懸念があります。
 このように、子どもたちの将来について、ゆとりを持って見守れるかどうかという問題に関していえば、改正案の50条で、高校では心身の発達及び進路に応じて教育を施すということになっていますが、そこに、現行法に進路というのが追加されたことも問題です。
 進路は修学していくなかで子どもたち自らが決めていくものであります。生涯学習社会のなかで、学び直しとかというふうに言われるように、機会の開放性を保障していくという観点からすると、子ども自身の進路をあらかじめ決めかねないような、そういう条文をわざわざ作るということは適切ではないのではないかと思っています。
 ところで、先ほど、目指すべき国家像の内容とはまた別の問題だという話をしましたが、ただ、やはり将来の国家、社会の方向性を規定する、その内容自体にももちろん問題はあります。
 例えば、健やかな身体を備えた国家という言い方がありましたが、仮にこの健やかなということが障害や病気を差別するようなものではないとしても、それを可能とするには学校教育だけでは難しく、社会全体、特に経済的な構造の問題があるだろうと。つまり、健やかにあろうとしても、それを許さないような労働条件であったり生活環境であったり、そういうことがあるんじゃないかと。「早寝早起き朝ごはん」と言われますが、それもよいのですが、そうしたくともできない厳しい生活環境自体を改善していくようなことも考えなければならないだろうと思っています。
 また、改正案が子どもたちの学ぶ権利ではなくて義務の方を強調しているという点もこれと連動して問題となります。
 これは達成目標と評価の問題ですが、現行法では、教育の目的、目標はその達成に努めなければならないという言わば努力目標なんですが、改正案では「達成するよう行われるものとする。」というかなり強い規定になっています。達成しなければならないとすれば、当然その達成度を見るための評価が必要になってきます。その評価は、改正案42条によると、文部科学大臣の定めるところにより行われると。ここで教育委員会ごとの独自の工夫とか地域ごとの事情を勘案したような評価方法がどこまで保障されるのかという点が心配されます。
 レジュメの3枚目です。
 また、このような目標達成の強い縛りのなかで学校教育が運営されるとすれば、先ほども少し触れましたが、障がいの問題です、障がい児の分離とか排除といった状況が発生しないかどうかは大変心配されるところであります。
 ところで、地教行法、地方教育行政法の改正案49条には、児童、生徒の教育を受ける権利が侵害されていることが明らかな場合に文科大臣は是正を要求できるという規定がありますが、侵害されてはならない権利について学校教育法に規定しておく必要があるのではないかと思います。
 次に、二番目の大きな柱の教育課程の問題に移ります。
 これまで文部科学大臣は小学校等の教科に関する事項を定めることになっていましたが、改正案では教科の部分が教育課程になっています。これは、学校での教育活動のかなり細かい部分まで文科大臣が定めるというふうに読めるわけです。
 周知のように、教育課程の編成主体は、現行の学習指導要領が確認しているように、各学校にあります。この改正案においては、この原則が大きく変わるということになります。いまの教育基本法第16条第3項の規定にあるように、地方分権を進めて校長のリーダーシップの下に多様な工夫が必要になっている現状に対して、かえって画一化を助長して、教育現場の改善努力や工夫を妨げることになっちゃうんじゃないかと、そんな心配があります。つまり、地方分権に逆行しているのではないかということであります。様ざまな教育問題は常に具体的な子どもを前にして具体的に起こっているのであり、その解決においても事情をよく知るそれぞれの学校や地域での取組といったものを支援する形の改正案になっていなければならないだろうと思います。
 最後に、教職員の階層化と言ったらいいのでしょうか、あるいは給与体系等のあり方に関する問題であります。
 改正案37条では、校長、教頭、副校長、主幹教諭、指導教諭というようなことが定められていて、その下にいわゆる一般教諭が位置づくということになるんでしょうか、教員間の階層化が規定されています。ここに免許状の更新制とか、あるいは附帯決議にあるようなメリ張りのある教員給与体系といったことが重なると、学校という場所が極めて競争主義的な性質のものへとなっていくだろうと。
 もちろん、ここで、メリ張りのある教員給与体系という言い方自体、私は非常に違和感を持ってはいます。つまり、給与は何かのご褒美でもらっているわけではないので、生活を支える大切な権利としてあるわけですから、そう簡単にメリ張りをつけられてもと、まあそういうことであります。ただ、その問題はおくとしても、子どもにとって身近な大人の代表である教職員がこのように階層化され、差別化されていくことの悪影響がとても心配されるということであります。
 ただ、このメリ張りのある、まあその表現は別としても、教員給与体系とか、あるいは教員の顕彰制度の充実とかといったようなことは、教員に優れた人材を確保したいというものであるということは、まあそこの部分は理解できますが、教員が求めているのはお金の問題ではなくて、子どもとかかわる時間がいかに保障されるかということだと思います。
 ここに、手元にあるのですが、お配りはしておりません。ある大学の教職課程を履修している大学生300人にアンケートを取ったものがあります。これウエブでちょっとアンケートを取ってみたんですけど、そのなかで理想の教師像はという項目があって、ほぼ、まあ全員と言うと大げさですけど9割以上が、多くの時間を子どもとのかかわりのなかで過ごして、一人ひとりと誠実に向き合える教師というものが理想像とされているわけですね。一見すると生産性が見えにくいようなそんなゆったりとした時間の流れのなかでこそ、学生たちは理想の教師像を描いているということになります。
 レジュメの4枚目に行きます。
 そんな学生たちはいま、教員免許の更新制の導入に対してかなり不安を抱いています。最後にこの更新制の問題に触れて発言を終わりたいと思います。
 そもそも、免許制度の根幹を変えるようなこの更新制度の目的規定がないということが第1の問題ではないでしょうか。中教審答申等によれば、目的は、時代の早い状況変化に対応する資質を育てるというものであろうと思いますが、だとすると、かえって10年では遅いということになります。その目的を達成するのであればもっと別の手だてを考えた方がいいんじゃないかと。また、更新の講習を受ける必要がないと認められる場合の規定もありますが、その基準や手続が不明確な点も問題になります。また、そもそも講習の受講が勤務なのか、職専免(職務に専念する義務の免除)なのか、勤務時間外の個人的なものなのか、あるいは研修なのか、その位置づけ。さらには、その時間と費用負担をどうするのか。その辺も法律に明記されなければならないだろうと思っています。
 もちろん、教員は常にその能力を向上させる努力が求められます。また、いわゆる不適格教員と言われる者の排除です、それが正しく判断できるのであればという前提ですが、やはりそれは必要なことでしょう。しかし、改正案のような現場から離れての免許状の更新講習とか、そういうことで果たして能力が高まるかどうか。むしろ、学校教育はチームで仕事をしているということが大切であって、その能力の向上も同僚の視点を取り入れた各学校等での研修などの充実こそが、実質的な意味を持ってくるのじゃないかというふうに思います。
 ところで、この更新制を導入すれば、どうしてもいわゆるペーパーティーチャーへの講習をどうするのかという点も考えざるを得ないと思います。多様なキャリアとかライフコースとかというものを可能にする社会をつくる上において、いまは教員ではないけれども免許状を持っていますという、そのペーパーティーチャーの存在は意味のあることでありますが、その質をいかに維持していくのか、あるいは維持しておくのかということは、今後の採用計画の問題とも重なって大きな問題になるのではないかと思います。
 先ほども言いましたけれども、更新制は大学の教員養成課程を履修している学生の間でも大変不安になっています。つまり、10年後どうなるか分からないというそういう職業にどうやって目指せばよいのかということ。ただ、制度を正しく理解していないとか、あるいは誤解も生じているということもあるかもしれません。しかし、実際に教職を目指すことに対して軌道修正をし始めた者も、私の周りにはたくさんいます。そうなった時に、教員の数が足りなくなって、採用に際してその質が維持できるかどうか、これは杞憂(きゆう)に終わればよいがというふうに思っております。


副校長、主幹教諭、指導教諭を置くのは、組織の活性化に
視野を広げた改革をし、児童生徒や教師に機能させるようにすべき

元神栖市立神栖第三中学校校長 根本 健一郎 

公述人・根本 健一郎・元神栖市立神栖第三中学校校長
 1996年に神栖第3中学校の校長を最後に教職を退任いたしました。退職後は神栖市教育委員会の不登校児童生徒を指導する適応指導教室で3年間主任教育相談員として務め、その後、神栖市コミュニティーセンター事務局長、社会教育に携わりました。その後、中学校の学校教育相談員として、元の神栖第3中学校相談室に勤務いたしました。現在は市内の小学校の学校評議員として微力ながら支援をしている次第です。
 教育の現場を離れて年月が過ぎておりますので、このような重要な教育法案改正に関して意見を述べる席にお呼びいただきまして、大変に光栄に思うとともに、恐縮しているところでございます。
 また、専門的な研究をしておりませんので、自分の体験、それから常日頃考えていることを基に、ピントぼけかもしれませんが、お話をさせていただきます。
 いま学校は様ざまな課題を抱えております。学力の低下、いじめ、子どもの自殺、児童虐待等、子どもの学ぶ意欲やモラルの低下は、まさに社会問題として大きく考えていかなくちゃならないことであります。いまこそ、教師、保護者、地域社会の協力と連携によって対応していくべきだと痛感しております。このような時に、現在、国を挙げて教育に関する様ざまな取組が行われていることは大変にうれしいことであり、大事なことであると思います。百年樹人という言葉がありますが、国家百年の大計を考えるとき、最も大切なのは教育と人材養成重視の考えであると常日頃思っております。
 さて、学校における組織運営体制の改革の一つに、義務教育の諸学校に副校長、主幹教諭、指導教諭という職を置くことができるとあります。学校の教育活動も多岐多様となり、学校をめぐる環境も複雑化し、学校運営にかかわる様ざまな連絡調整をする業務も拡大されております。そのような時に新しい職を設置することは、組織の活性化にもなると心強く思います。制度は何年かたってから問題が顕在化すると言われます。部分的な修正ではなく、視野を広げた改革をし、児童生徒や教師に機能させていくようにすべきであろうと考えます。学校管理者である校長の識見が問われてくるであろうと考えます。
 私は、「いきいき・かみす」、不登校の生徒を預かっているところで、大変に恥ずかしい話ですけれども、自分が40年間教育をしてきて、その不登校の生徒たちに触れたときに、本当にこう自分は何を、子どもたちに本当に接してきたのかな、みんなをそこまで大事にしたのかなと、それを痛切に考えます。子ども一人ひとりを大切にするということが教育の最大の目標であると、こう痛切に感じました。一人ひとりを見ると、本当に心も優しいし、思いやりもあるし、そしてまた自分の個性も豊かに持っているんですね。それぞれの桜梅桃李の個性を大いに、小さい部屋ですけれども、そこに来たときにはみんな自分を本当に表現していると、それが子どもたちであると。
 学級担任の先生方がどれだけ子どもたちにかかわれるか。特に、問題を抱えている児童生徒に対して全力を尽くして援助をすべきであると強く感じました。児童生徒のために、教師のために、一番困っている人のために、この制度を生かしていくかを考えるべきであると思います。まあ職員も増員されるわけでありますし、それぞれの工夫によってはそういう子どもたちへの手を差し伸べる余裕といいますか、時間とか、そういう空間というものが取れるのではないかなと、このように考えます。
 次に、小中学校等の学校評価及び情報提供の提案ですが、学校評価についてはすでにもう自己評価実施あるいは結果公表が努力義務とされていますが、今回、2007年ですか、学校評価には保護者や児童生徒の意見を反映させ、学校は外部評価の基準を明確にすると教育再生会議の報告がされております。
 私が学校評議員として、小学校においても自己点検評価を、そしてまた昨年度から外部評価を実施しております。そのなかで、管理職と教師との個人面接ですね、年2回ないし3回ということですけれども、中規模校、大規模校の校長さんにとっては大変な労作となっているようです。勤務外の時間あるいは夏休みを中心に面談をしておるようですけれども、この面談によって、いままでよりも誰に対しても平均的に相互理解が深まり、教員が適切に評価されて、それぞれの目的に向かって意欲を持った教育活動が展開されていると、このように思います。私も評議員として授業参観、学校行事への参加、保護者の皆さんとともに評価を行い、常に学校経営全般について関心を持って責任を果たすべく努めております。
 ここで、これからのことですけれども、各評価内容を実質的に分析、検討を十分に行って、今後の学校・学級経営に生かされるよう、継続して教育力を高める努力を各学校で行われるべきであると、当然そうなると思いますが、継続したことが大事ではないかと、このように思います。
 次に、教育委員会の体制の充実と地方分権の推進についてでありますが、もうすでに教育委員会の使命とかあるいは自主性、主体性、そういうものに欠けて形骸化していると、このように言われておりますが、今度の再生会議、また、この法案を通して十分な深まりある方向づけがされれば、さらに教育委員会の今日的な意義から必要であると、必要性というものが明確にされると思います。
 実際に私の住む市の現状を見ましても、教育委員の方々は月1回の定例会で、教育委員会の事務局からの報告あるいは懸案事項の検討、事後承諾等を行って、充て職等の業務もかなりあるようですけれども、なかなか地域住民とのかかわりや活動内容を明確にして自主的に活動するということはなされておられないように感じ取られます。今回のこの改革で教育委員会のあり方を本当に見直していったならば、さらなる教育力が高まり、地域の教育環境も良くなるんではないかと、このように思います。
 私は、1978年ですか、教職の途中で波崎町の、当時、教育委員会に3年間派遣されまして、社会教育主事の貴重な仕事をさせていただきました。
 その時に強く感じたことがあります。それは、外見から見て、庁舎内の各部局、自分のところだけで精一杯で、協力体制とか、進んで仕事を見つけてやろうということはなかなかできない状態だったんですけれども、私がそのなかに入って、当時の町長さん、教育長さん、各先生上がりの方でした、本当に熱心に取り組んでおりました。町民の健康づくりを推進しよう、その時に、関係する部署、五つほどありましたが、そのメンバーが集まりまして、3年間、筑波大の教授の先生を招いての健康講座を1年に4回ずつやりました。それから、利根公園の設置、これはペースメーカーを使っての健康づくりです。それからランニングコース、町民マラソン、これは後ほど波崎トライアスロン大会、これにつながっていくんですけれども、当時、学校開放が打ち出されまして、早速、小中学校長会で学校開放を、各小学校体育館を開放していただくことになりまして、いろんなスポーツ団体等を育成するようなこともできました。
 本当に私自身思うのには、その部署、部署のやはり教育委員会で何をすべきかと、今度は明確にしていこうということでありますので、さらなる発展ができると思います。
 現在は、波崎地区はスポーツの町波崎ということで、そういうことが一つの礎になりまして、民宿、スポーツの民宿ですね、学生が春、夏の長期休業に来て大いに盛り上がった一つの状況が出ております。
 この話はちょっとぴんとこないかもしれませんが、私は、教育委員会のいろいろな組織のあり方とかそういうことについてやれば、いろいろあるんだなということを私なりに外部から入って感じたことです。
 それから、最後になりますが、同一市町村内の転任ですね、これは市町村教育委員会の内申でということですが、私の住む神栖市の現況は、補充教員の不足の問題があります。昔から鹿島は陸の孤島と呼ばれていました。工業地帯になりましても毎年新採の教員が、そのころは波崎、神栖は別でしたが、50名も来るんです、バス1台でですね。みんな新採です。それが3年たつと帰るわけですよ、地元に帰っていくわけです。その繰り返しでした。現在でも毎年30名の新採が来ます。あとの30名は講師です。ですから、それだけ教育者の人材不足という部分はあります。あとは他教委からこちらに来ている、地元の教員が少ないということです。
 ですから、広域人事から地方にという一つの流れですけれども、これはその地域によっていろんな事情があるということを分かっていただければと思います。
 あと一つは男女比ですね、これは女性の教諭が圧倒的に多くなっています。現在、小学校では、10人でしたら10人のうち3人ぐらいが担任としては男子です。中学校でも半分近くは女子です。これもいろいろ社会情勢があると思いますが、子どもにとっては男の先生に教わったり、女の先生に教わったり、やっぱりそういう違いというものはあると思います。そういうことを考えると、やはりこの辺も一つの工夫すべきところかなと、このように思います。
 時間も来てしまいましたので、私の考えですけれども、地元の高校教育の充実ですね。これは直接ここの話には関係ないと思いますが、やっぱり佐原、銚子の方、鹿島の清真学園にみんな優秀な子は行きます。地元はそれだけ学力が落ちている、これは恥ずかしい話ですけれどもね。いつまでたってもこういう状況になっていると、やっぱりこれは地域の教育力が伸びていかないと、大きな問題だと思います。大学の誘致も話がありました。しかし、それはもう過去のものになってしまっています。企業の退職者の永住はなかなか少ないですね。みんな子どもの教育のために都会、そして出身地に戻る、新天地に行くという。ですから、住みよい町づくりの建設を、なかんずく、教育環境の整備と人間融和の社会を目指した行政が望まれます。
 時間が延びて済みません。ますますこの改革の良い方向に進められますことを心からご祈念申し上げまして、まとまらない話でしたが終わりにいたします。


公述人質疑

水岡 俊一・参議院議員
 早速質問に入りたいと思いますが、まずは根本公述人にお伺いをしたいと思います。
 根本さんは、副校長、主幹、指導教諭、こういった新しい職が設置をされることについては歓迎をしたいと、こういうお話がありました。学校をめぐる環境は大変厳しく、そして変わっていくなかで、学校に活性化という大きな意味を持つのではないかというお話がありましたが、おそらく根本公述人は定数改善があるということを前提に考えておられるんではないかと思います。実はこれまでの委員会の質疑のなかで、文科大臣、それから文科省からも定数改善はないというようなお答えが、いまあるような段階なんでありますが、その件について根本公述人はどういうふうにお感じになるでしょうか。

公述人・根本 健一郎・元神栖市立神栖第三中学校校長
 そうしますと、副校長さんは、いままで教頭先生がいますよね、各学校に。その先生が副校長になるという意味ですね。

水岡 俊一・議員
 そういうことです。

公述人・根本・元神栖市立神栖第三中学校校長
 そうすると、第1教頭、前にそういう、2人とか、第1、第2とありましたから、そうすると、1人副校長がいれば教頭さんはいないということになりますね。それからすると、何ですか、主幹教諭が、いま教務主任がいますよね。そうすると、その教務主任の立場の人が主幹教諭になると。

水岡 俊一・議員
 そういうことです。

公述人・根本・元神栖市立神栖第三中学校校長
 ああ、そうなんですか。勘違いしていました。
 いや、そういうことになると、ただ名前が変わっただけじゃないですかね。仕事が減らないですよ、それでは。
 分担。校長さんが大変だと、教頭も大変だと。じゃ、そこへ副校長さんが、副校長ですか、そうすれば校長さんを助ける、主幹教諭がいれば教頭さんを助けると。仕事が大分能率も上がるし、その分先生方にも多少、私はそれがあったから有効に使えるんじゃないかなということを考えたんですが、ああ、違うんですか。失礼しました。

水岡 俊一・議員
 同じ質問でありますが、鯨岡公述人にお伺いをしたいと思います。
 いまお話のあったように、実は文科省からはこの法案に関して、教員が子どもたちに向き合う時間を増やしたいと、そういう目的のために新しい職をと、こういう提案ではあるんですが、詳しくどんどん聞いていきますと、そういったことが明らかになってきました。そういった観点から、鯨岡公述人としてはどういうふうにお感じになっているか聞かせていただきたいと思います。

公述人・鯨岡 武・水戸市教育委員会教育長
 教育長の立場としては、学校に教職員の数が増えることというのは大歓迎でございますので、希望としては、そういう定数の改善ができることを願うわけでございますが、それでは、それがこういったご時世でできないとすれば、副校長がいることについてどう思うかということになりますと、私は賛成でございます。
 というのは、校長が忙しい状況は全国どこも同じだと思うんですが、じゃ、その忙しさをなくして、学校に張りつけということだけでは済まない問題が実はいろいろあるわけですね。トップはやっぱりいろいろ仕事をする必要があると思うんです。そうなった時に、学校におる副校長が決裁できることが幾つかの分野であった方が、私は、仕事が進まない状況を進めるという意味で大事な解決の方向になると思います。
 ただ、指導教諭とかそういった者が子どもと向き合えないということにはならないというふうにとらえているわけですが。

水岡 俊一・議員
 私も、おっしゃるとおり、教頭あるいは副校長というなかで、校長の権限を一部移譲されながら責任を持って校務に当たるということは、これは意味のあることだと私も考えるところですが、この副校長については、私が質問をしましたら、授業を持つというお話が大臣からございました。こういったことについては、鯨岡さん、どういうふうにお考えになるでしょうか。

公述人・鯨岡・水戸市教育委員会教育長
 教頭は授業を持つことがこれ決まりというか、持たなければならないんですね。持たないで済む教頭は幸せだと思うんですが。同じように、副校長もあってよろしいかと思います。定数の改善がなければ、そのような形に自然になっていくということは可能性としてあると思います。

水岡 俊一・議員
 そういったなかで、副校長という立場で校務に当たられるとすれば、教育をつかさどるという言葉はないにしても、校長の命によって校務をつかさどるということのなかで授業をすることもあるのだというようなお話が文科省からあるわけであります。そうしますと、この副校長という立場にある人は、教頭という立場にある人よりもさらに責任が加わるなかで授業もしなきゃいけない、かなりプレッシャーになるんじゃないでしょうか。なかなか、いま学校現場はストレスフルな職場として危険視をされている、そういったなかにありますので、教育長の立場から、そういったことについては何かお感じになることがあるでしょうか。

公述人・鯨岡・水戸市教育委員会教育長
 多分、おっしゃっておられるケースというのはごくまれだというふうに私は思います。副校長が常時授業をするというような状態にはならないというふうに、いまの定数で考えると思うんですが、場合によってはそういったケースも出てくるというふうにとらえております。

水岡 俊一・議員
 時間がありませんので、この論議は続けたいところなのですが、ここで終わりにしておきたいと思います。
 ただ、学校現場としては、標準定数法のなかで教頭は授業を持つことを算定に入れておりますので、そういった意味では、いま教頭が授業を持っていないケースは多いかもしれませんが、これは学校現場、特に教員の立場からすると、授業を持っていただきたいなという思いが強いんではないかと、私は思っているところであります。
 そこで、鯨岡公述人に引き続きお願いをしたいのですが、鯨岡さんは、教師という職業、これは魅力的な職業であってほしいと、こういうふうにおっしゃっておられました。優秀な人材を集めることができるように望んでいるのだというお話がありました。鯨岡公述人としては、具体的に、例えばどんなことが優秀な人材を集める具体的な手段だと、思われますか。

公述人・鯨岡・水戸市教育委員会教育長
 なかなか難しい定義だとは思うのですが、それだけではないのですが、お給料の面できちんと配慮されているということは非常に誇りですね、教員をやっているなかでは。ですから、財政事情がいろいろ難しい状況は十分に理解できるんですが、そういったことで保障している形が続いていただければ有り難いなというのが願うところです。
 それから、やはり優秀な人材は、やはり教員の仕事が好きだということで入ってくる皆さんですので、そういった方々を他の職業に逃がさないというか、学校がしっかりとつかまえる、そういう採用であってほしいなと思います。

水岡 俊一・議員
 いま、優秀な人材を集めるためには給与という面も一つの考え方だろうということはおっしゃっていただいたんではないかなと思うんですが、そういった意味では、池田公述人にお伺いをしたいんですが、おっしゃっていただいたなかに、メリ張りのある教員給与体系という問題をとらえておられました。
 メリ張りのある教員給与体系とは一体どういうことを言うのかと私たちも考えてきたんですが、どうも政府の動きからすると、例えば教職調整額4%を一律に与えるのではなくて、与える人もいれば与えない人もいるというようなメリ張りをつけるというようなことを言っているかのように私は感じるんです。その点と、いま、教員の優秀な人材を集めるという観点から給与を保障していくということと絡めて、池田さんのお考えがあればお聞かせをいただきたいと思うのですが。

公述人・池田 賢市・中央大学文学部教授
 メリ張りと言われると、どうしてもみんな何か自分が上がるようなイメージを思うかもしれませんけど、減ることもあるわけですよ。やっぱり給料が減る可能性のあるのを体系化するというのは、やはり魅力ある職にはならないだろうということです。やっぱり生活を支える基盤ですから、それはしっかりとやらなければいけないというふうに思っています。
 教員ってやっぱりお金がかかりますよね、何だかんだで、教員という仕事は。もちろん学校には予算がついているとはいっても、学校のまた予算でいろいろ鉛筆買ったり、画用紙買ったりも、それはいいのですけど、でもやっぱり、ある意味、これは先生という職業に就く人の性格もあるのかもしれませんけれども、自分で結構出してしまって、自分でわりと教材を一生懸命工夫してみたりとかということもある。本来それは、きっちりと学校予算でやるべきなんですけど、でもやっぱりそういうやる気というのを考える意味でも、給料を保障しておくことはとても重要なこと、高めに保障していくことが必要だろうと思っています。
 それと絡めて、優秀な人材ということですけど、先ほど私はお金だけじゃないという話をしましたけど、もちろんお金が大事じゃないというわけじゃないのですけど、特にやっぱり免許の更新制ですよ。すごく教員養成の現場にいて不安なのです。10年後にはどうなるか分からないという、学生の言い方をかりれば本当にそういうことが物すごく広がってしまっているんですね。そういう職業を本気で目指そうという学生が、じゃどこまで意欲を高められるかということなのです。
 もちろん、10年後の研修はこういうことなのですよ、こういう基準でやるんだとか、こんな内容なんだと示されていれば、多分それは分かってくる部分もあるかもしれませんけど、単に運転免許の更新みたいな形でとなっちゃうと、それで職を奪われる可能性もあるとなると、そっちの不安が先に立ってしまうというのが現状です。

水岡 俊一・議員
 それに関してなんですが、実は、私もインターネットを使って教員を志望している学生にアンケートを取ってみました。やっぱりそうすると、この法案に多少なりとも興味を持って、その中身を知っている学生になればなるほど不安感を持っているということが分かってきました。
 池田さんのお話の一番最後のところにもございましたけれども、やはり教員養成課程を履修している学生がどういうふうに思っているかということを、いま学校の教授という立場でお感じになっていて不安を提起していただいているのではないかと思うのです。
 いま、教員の年齢のバランスから見ると、ここ10年の間に、多くの教員が退職をしますので、新しい教員採用の時代を迎える大量教員採用時代を目の前にしているわけでありますが、そういった観点から、池田公述人の感じておられることがあれば教えていただきたいのですが。

公述人・池田・中央大学文学部教授
 いまでも、何というのかな、東京都あたりだと、小学校の採用試験がすごく易しくなってというのかな、倍率が低くなって、就職課なんかはねらい目だ、なんという変な言い方をするわけです。それでは困るのであって、簡単になれる職業であってもいけないという部分もあるし、そこは、単に就職先の一つでもあり、また、それはすごく大きな、市民形成というような意味では大きなことですので、しっかりと養成をしたいという感じはするんです。
 そのときに、多分、ペーパーティーチャーという話をちょっと私、出しましたけど、そのあたりも採用計画のなかに多分取り込むことも必要かもしれないというふうに思うのです。魅力ある職業として教師というのをアピールしていく。
 卒業の時に免許は取ったけれども、いったん就職してとか、あるいは研究者の世界に、大学院に行ってとか、でも、やっぱり年齢がたって来て自分も教員になってこんなことを、という人もたくさんいる。私の知っている大学院生にもいますけど、そういう人たちに今度は門戸を開いていくということ、いろんな経験を持った人たちですよね。だから、逆にペーパーティーチャーってすごくクローズアップされるのじゃないかと思っています。

水岡 俊一・議員
 今回は、政府案3案、民主党案4案、合計7法案を審議するということでこれまで委員会審議を続けてきましたが、なんせ7法案もあるということで、すべてにわたって私たちも論議をすることがなかなかできていない状況ですので問題だなと感じているところです。特に私が思っているのは、いま池田さんのお話のなかに、地方分権と逆行している部分が多いんじゃないかというお話があったように思うんです。
 それで、地方分権という観点からすると、鯨岡さんも地教委や学校の創意工夫がもっともっと生かされるようなシステムを考えていくべきじゃないかというお話もあったなかで、いまここで、この政府案3案のなかで地方分権に逆行という観点から、もう少し日頃考えておられることがあれば池田さんにお伺いをしたいんですが。

公述人・池田・中央大学文学部教授
 行政的ないろんなシステムの問題というのをもちろん語らなければいけないのかもしれませんが、というよりも、ここでは、常に教育問題が具体的だという話をやっぱり中心に据えたいのですね、私の頭のなかでもそうなのですけど。つまり、全国で、それは学力調査の問題もいろいろありますけど、実はそこも絡むのですけど、全国一律で何かとか、全国的なという視点も重要な時もありますけど、ただ、子どもたちが抱えている様ざまな問題は常に具体的で、その学校、その教室、その人間関係のなかで起こっているわけですよ。そういうふうになってくると、より細かに、それを分権という言い方とは、また、少しは重なっているとは思うのですけど、教育委員会もなるべく細かい単位できちっと学校が見れるような形という意味で分権に絡むと思いますけど、しっかりと具体的に教育問題をとらえ、具体的に改善策を考えるということが、とても重要だと思っています。分権化はそんなふうに理解をしています。

水岡 俊一・議員
 最後に一つだけ鯨岡公述人にお伺いしたいのですが。
 道徳教材のことについてお話がございました。それで、水戸では「まごころ」という教材を作っておられて、それを利用して頑張っておられるというお話がありましたが、文科省は心のノートというのを強く使うように指導をされているように私は伺っておるのですが、それについてはどういうふうにお考えになっているでしょうか。

公述人・鯨岡・水戸市教育委員会教育長
 大量採用の時代はすごいやつも入ってくると思います。ただ、その辺の10年間のなかで、その人たちがどのような評価を受けるかという問題はやはりあるんだろうというふうに思います。
 心のノートについてですが、文科省が一生懸命努力されて道徳をしっかり学校でやっていこうというふうな促しをしてきた事情というのはよく分かるのです。なかなか定着しないんですね。私は、道徳は大事だと思っているのです。したがいまして、そういった意味でも評価をしております。

水岡 俊一・議員
 ありがとうございました。

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