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| 2006年12月5日 第165回国会 教育基本法に関する特別委員会 |
政府案「教育基本法案」、民主党案「日本国教育基本法案」等
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教育の分野だけでなく、社会として障がいのある方を
差別しないインクルーシブ社会の実現を
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参議院議員 水岡 俊一
水岡 俊一・参議院議員
昨日は4ヵ所で地方公聴会も開かれました。大変短い時間ではありましたけれども、地方の識者の皆さんが大変貴重な意見を述べていただきました。
最初に、大臣、その地方公聴会の報告については後ほど団長からの報告があるとお聞きをしておりますが、大臣のところには地元の新聞であるとか、あるいは記録であるとか、そういったことで何か報告を受けていらっしゃるのでしょうか。
伊吹 文明・文部科学大臣
地方公聴会そのものについてでございますか、いま先生のご質問は。
水岡 俊一・議員
はい。
伊吹・文部科学大臣
いずれ、これは国会で公聴会をなさっている、参議院で公聴会なさっているわけですから、その報告書を見せていただきたいと思っております。
水岡 俊一・議員
地方公聴会の後に委員会が開かれる、その冒頭に団長からの報告を受けて、それを基に審議も進めていくというのが本来の姿ではないのかなと私は思うところであります。
そういった意味からすると、特別委員会の審議日程が非常に立て込んでおるというか、厳しい日程になっているということですので、公聴会の意見をぜひ政府側も、そして委員各自がお互いに共有をできるような、そういう条件をつくった上で審議をしていくべきだと、私は思っております。
そんななかで、若干そのことに時間を使って報告もしたいのでありますが、私は昨日、神戸会場と徳島会場に行ってまいりました。神戸会場のことを報告してみたいと思うのです。4人の公述人がご意見を述べられました。時間の関係ですべてを言うわけにはいきませんが、例えば1人目は、愛国心とはあくまで人が成長するなかで自然に心に芽生える感情であり、一緒に育てていこうという、そういうものではないのだということをおっしゃった。2人目は、現行法は個人の尊厳に重きを置いているが、政府改正案は国が必要とする人格の形成を重視している、この違いをどう整理するのか。それから3人目は、政府改正案に混じっているように感じる復古的な国家重視の人間観で時代状況を切り開けるとは思わない。それから4人目は、近代国家の教育は国家公認の哲学を持たないということを基本としていると。こういうような意見がその多くの意見のなかの一部としてあったわけです。
私は、神戸会場で私自身も質問をし、その論議のなかで、やはり国民の声として地方の公聴会で識者が参考意見として述べられた、そういった意見のなかでは、先ほどのアンケートの分析とは、また、ちょっと違う意味ではありますけれども、非常に国民の声として慎重に審議をするべきではないかなと、こういった声が聞かれたというふうに私は感じました。
そのことについて、大臣のお考えがあれば聞かせていただきたいのですが。
伊吹・文部科学大臣
地方で大変ご苦労いただきまして、ありがとうございました。その結果は十分私も参考にさせていただきたいと思います。
どういうご意見で、また公聴会のあり方、どの政党のご推薦その他ということもありましょうから、初めから意見が分かっているんじゃ、これ仕方のないことですから、そういうことも踏まえて謙虚に、やはり公述された意見は参考にしていくと。そして、最後はやっぱり一人ひとりの政治家のというか、参議院議員として国民の負託にこたえたご判断をいただくというのが議会制民主主義のやっぱり基本だと思います。
あと、公聴会の意見をどういうふうにわれわれに示していただくとか、あるいはどういう形でそれを尊重しながらこの委員会を運んでいただくかというのは、これはもう各党間でお話をいただければ結構だと思います。
水岡 俊一・議員
各党の理事の皆さん、大変ご苦労いただいておりまして、報告も間もなく出るんではないかと思いますが、大変短い時間ですのでご苦労いただいているんではないかと思っております。
これは委員長、そしてまた理事の皆さんにもお願いをしたいのでありますが、後ほどまた地方公聴会、あるいはそういったものが行われる際には、そういった報告を十分共有できるような形で、また委員会審議を進めていただけるようお願いをしたいと思っております。
それでは、私の質問をお願いした部分について入ってまいりたいと思います。
最初に、インクルーシブ教育についてお伺いをしたいと思っております。
さきの通常国会で、文教科学委員会において特別支援教育にかかわる法律改正について審議をいたしました。その時に当時の小坂文科大臣から答弁がありまして、今後の障がい児教育が目指すものはインクルーシブ教育であると、こういうようなお話を明確にいただきました。
その点、伊吹文部科学大臣としても同じお考えかどうか、お伺いをしたいと思います。
伊吹・文部科学大臣
やはりインクルーシブな制度というのは、これは障がい者教育のやっぱり理想だろうと思いますね。その点においては、私は、小坂大臣と何ら見解は異にいたしておりません。
ご承知のように、国連でいま審議をされて、そして、その条約案というのも私は見せていただきましたけれども、すべての教育段階において障がいのある子どもの教育をインクルーシブな制度の下で実施することということと、それから個々の障がい者が必要とする合理的配慮を講ずること、これはディスクリミネート(区別)するという意味ではないようですね。その各々の障がい者がインクルーシブに行動できるような配慮をむしろするという積極的な意味のようでございますが、等について盛り込まれており、そして同時にこれらの漸進的な実現を求めると。
ですから、この納税者の理解を得て明日からすぐできれば、これはもちろん理想でございますが、何せ納税者は投票権を持っておられますので、ここら辺りとのバランスを考えてやっていくと。だから、理想論を現実論のように言って票を取っちゃうということは相手を喜ばすことですが、票を取った後苦しむというのはみんな本当に共通の体験を持っておりますので、私は合理的な範囲で理想のたいまつを掲げてそこへ向かっていくという気持ちは失わないようにやりたいと思います。
「障がい者の権利に関する条約」の国連の採択に日本も応じるべき
水岡 俊一・議員
いま、国連総会が開かれておって、そこで論議をされている「障がい者の権利に関する条約」、このことについていま大臣は述べていただいたと思うのですが、これは、いま総会で採択をされると見込まれているわけですが、当然日本はその採択に応じると思うのですが、政府閣僚のお一人として、その件についてはどういうふうに見解をお持ちでしょうか。
伊吹・文部科学大臣
今年は、日本も国連に加入してご承知のように50周年という記念すべき年なのですが、条約案が採択をされましたら、まず現行法令との整合性をチェックしませんと国会へのラティフィケーション(批准)は当然出せませんので、それと予算の先ほど申し上げた漸進的な実現というのを遅らせるつもりは、私は毛頭ありません。けれども、どのようなことを条約の、まさに立法提案者というんでしょうか、が考えているかというところは、やはり外務省を通じてかなり確かめながら対応していくと。で、採択をされればそちらの方向に向かって国内法の整備、その他を考えていくということになるんだと思います。
水岡 俊一・議員
条約のなかをずっと見てみますと、第24条に、あらゆる段階におけるインクルーシブな教育、インクルーシブな生涯学習を確保するということにかかわって書いてございます。
少し詳しく見てみますと、その締約国が教育について障がいのある人の権利を認めていくと、この権利を差別なしにかつ機会の平等を基礎として実現するために、締約国は次のことを志向していきなさいと、こういうようなことが書いてあるんですね。そのなかの一つに非常に象徴的に書いてあるのは、障がいのある人が障がいを根拠として一般教育制度から排除されないこと、並びに障がいのある子どもが障がいを根拠として無償のかつ義務的な初等教育及び中等教育から排除されないことと、こういうふうに書いてございます。それはいま、日本としても努力をしてきたし、これからも努力をしていくと、漸進的に導入をし、それは大臣としても積極的にかかわっていきたいというお答えがありましたが、それは有権者の意向にもよるのだというような一つのエクスキューズ(弁解)がありながら、いまの答えはあったわけですね。
私は、これまでの論議のなかでやはり注目をしておかなきゃいけないと思うのは、つまり障がいのある方について何らかの手だてをする、これはいまの日本においてもやられているわけです。しかしながら、いま、ここで私が読み上げたなかに、初等教育及び中等教育から排除されないということを明確に書いてある。つまりは、初等教育や中等教育に向かうための何かの援助であるとか、訓練であるとか、そういったことに幾ばくかのお金を投じたり、そういう施設を造ったり、そういう機会を提供しているということに、いまとどまっていやしないかということが私は問題だと思うのです。その先に、ほかの子どもたちと同じように初等教育や中等教育を受けさせる、そういう受ける権利を持っているということをきちっと保障していくんだ、という考え方が私はここにあって、そこに注目をすべきだと思うんですが、大臣はいかがでしょうか。
伊吹・文部科学大臣
いま先生がおっしゃっているのは、障がい別の学校という現在、わが国が取っている形態ではなく、一般校においてという意味ですね、おっしゃっているのは。それは、インクルーシブの理念というのは当然そういうことになるのだと思います。ですから、そちらへ向けてということを私は申し上げたのは、そういう意味なんですが、問題は、そこへ行くためには膨大な経費を要するわけですよ。ですから、この経費の負担とのバランスにおいて考えなければならない部分がありますから、国連の条約も漸進的という言葉が入っているわけですね。
ですから、私が申し上げているのは、そういう理想というものの方向へ少しでも向かっていくように担当大臣としては努力をさせていただきたいし、また、先生も国民から選ばれた選良の一人として、そういうことをやるためにはもう少し税負担も皆さんお願いしますよ、ということもみんなでやっぱり働きかけていくということだろうと思います。
水岡 俊一・議員
大臣、税負担の問題はいろいろ考え方があろうと思いますが、いま納税をしていただいているその升のなかでどういうふうにその予算を振り分けていくかということも大きな問題だと思いますので、新たに税負担だけが方法ではないと、私は思っております。
話は戻りまして、そこで政府の案に目を戻してみますと、第4条に教育の機会均等が書いてございまして、第2項に、障がいのある者がその障がいに応じ十分な教育を受けられるようと書いてある。障がいの状態に応じという規定がそこにあるわけでありますが、障がいの種類とか、それから障がいの程度を、そのことを意味しているというふうに理解をされるところです。
ここで、障がい者に関する教育を取り立てて規定をしているところにおいて、障がいの状態に応じというふうに書いたのを、非常に危惧をするのは、分離であるとか別学ということをこの条文で固定化をしないかということがあるわけです。この点については、大臣、いかがでしょうか。
伊吹・文部科学大臣
午前中の蓮舫先生のご質問も、そういう立法意図を持っている者がどういう考えでこれを国会へお示ししたかということを確認していただくためには、非常に良かったと私が申し上げているのと同じように、先生のいまのご質問もそういうご趣旨だと思うんです。この障がいの状態に応じというのが、聾は聾、盲は盲という分離をするという意味ではないのかということを危惧しておられる。しかし、立法作成者の意図としては、障がいのある児童一人ひとりのニーズに応じてという意味で、この法案をお出ししているということをいま先生に確認していただいたということなんだと思うんです。
だから、これが将来、もしこの法律をお認めいただいたときには、立法意図はこうだったじゃないかということを一般の方がおっしゃられることを、先生はいまきちっと議事録に残しておられるということだと思います。
水岡 俊一・議員
大臣のお言葉のなかにインクルーシブ教育を決して忘れないということは、法律の提案者としてそのことは十分に胸のなかに入っているんだと、こういうお話ですね。
そこで、いま、日本では医学モデルという言葉と、社会モデルという言葉がございます。つまり、障がいというものをこれから治療していくものだというふうに考える医学モデルと、それから障がいというのは社会環境、いろんな意味の社会環境がつくり出していったもので、それを社会生活全分野で障がい者が完全参加できるように、社会全体が共同に責任を負ってそのことに当たるべきであるという社会モデル、こういう考え方。
この日本においては、どうしても医学モデルに偏ってしまっているということが危惧をされるし、この教育基本法の政府案のなかにはそういった懸念というのはないんでしょうか。
伊吹・文部科学大臣
私もボランティアとして京都の障がい者団体の連合会の会長をずっと10数年やっておりますので、先生がおっしゃった医学モデルと社会モデルという感覚はよく分かります。
教育基本法のなかでそういうものを、先生がご心配になっておられるような医学モデルということを前提にしているのならば、先ほどご質問になったところに、私があのような答弁をするわけがないわけですよ。ここはもうご理解いただいていると思います。
一方で、障がいというのも身体障がい、知的発達障がい、それから精神障がい、その他いろいろございますから、これはもうご案内のように、やはり治療という部分で完全に社会復帰ができると考えられる部分の障がいもあるんですね。
ですから、完全参加と平等ということを、われわれも大会へ行ったりすると会長としてよく申しますけれども、それを実現していくためにはいろんな人のご理解、そして医学的な配慮も必要な部分もある、それは当然のことだと思いますし、教育基本法で、何というんですか、医学的配慮で作られているということはございません。
教育基本法のなかには、学ぶ権利の考え方が必要
水岡 俊一・議員
医学モデルとしての考え方だけではいまのインクルーシブ教育というのは克服できないというか、それを実現することは難しいという観点から、この社会モデルというものを社会全般がとらえて障がい者とともに歩んでいくということが必要だろうと思います。そういった意味からすると、私はこういった教育基本法のなかに学ぶ権利という考え方をやっぱり据えるべきだなと思うところです。
そういった意味では、わが民主党の日本国教育基本法のなかでは第3条、あるいは第13条でこういったことについて書いてございますので、またご参考にしていただきたいと思うところです。
そこで、高市大臣にお伺いをしたいのですが、内閣府にかかわる担当大臣をされておりますし、こういったインクルーシブ教育ということについて大臣がいまお持ちの所見であるとか、これからの考え方として何かあればぜひお伺いをしたいんですが、いかがでしょうか。
高市 早苗・少子化・男女共同参画担当大臣
私は障がい者政策全般を総合調整させていただいたりする担当であるのですね。いま、日本全体の、教育にかかわらず、障がい者政策というのは、障がい者基本計画、この10年計画に基づいて行われております。そのなかで、私は、とても大事な理念、すべてこれからの障がい者施策に教育も含めて共通すべき理念というのは、まさにこの基本計画のなかに基本的な方針として、私たちが目指すべき社会というのは、もう障がいの有無にかかわらず、国民だれもが相互に人格と個性を尊重し、支え合う共生社会であると。それから、障がい者の方も自己選択と自己決定の下に社会のあらゆる活動に参加できる。それから、社会の一員としてその責任も分担していくと。それから、政府の役割でもあるんですけれども、障がい者の活動を制限したり、社会への参加を制約している諸要因を除去する。それから、障がい者が自らの能力を最大限発揮して自己実現できるように支援すると。こういう周囲の人たちや社会の責務と、そして障がい者が自分で選択をしながら能動的にまた頑張っていかれるというような理念が盛り込まれていると思います。
ですから、さっき伊吹大臣とご議論なさっていましたが、私はリハビリテーションの理念と、それからノーマライゼーションの理念と両方がやはり必要なんだろうと思っております。
また、私はITの担当大臣でもございますので、例えば働く方でしたらテレワークですとか、また、場合によってはおうちで学べるようなインターネット環境、それも十分セキュリティーに配慮した形で整えていきたいなと思っております。
水岡 俊一・議員
インクルーシブ教育ということで、いま注目をしておるわけですけれども、これは教育の分野だけじゃなくて、社会として障がいのある方々を、それを理由として差別することのないように、政府のあらゆる機関でそういったことに取り組んでいただきたいと、そういうことをお願いをしたいと思います。
伊吹大臣にお伺いをしたいのですが、伊吹大臣、安倍総理のお書きになった「美しい国」という本をお読みになられたでしょうか。
伊吹・文部科学大臣
安倍当時の自民党総裁候補から送ってこられまして、深くは読んでおりませんが、一応ページには目を通しました。
水岡 俊一・議員
そうですか。私も読んでみました。そこで安倍総理が書いておられるのは、教育の分野でイギリスのサッチャー首相の教育改革を絶賛しておられる。そして、それと同様な改革を日本で行いたいというような意欲がそこに示されていたのではないかと思いますが、その点については伊吹大臣としてはどのような見解をお持ちでしょうか。
伊吹・文部科学大臣
私も英国に4年ほどおりましたが、サッチャーが出てくるかなり前で、英国の状態はもう率直に言って最悪の状態でして、毎日、毎日、為替市場でポンドが売りを浴びせられて、公務員は次々とストをして、ロンドンのメーンの通りにはごみが山積みになっているというような時でした。だから、サッチャーがいずれ、私が日本へ帰ってからですが、出てくる素地はやはりあったんじゃないかと思います。
先ほど来、もうお答えしたのですが、市場経済化によって英国経済に活を与えると、自由競争原理の、やはり原理主義的適用をするということをやった場合には、必ずそれの副作用というものがあるんですね。これしかない制度なのだけど、自由競争社会原理というのは副作用があります。
その副作用を埋めるためにサッチャーが語った言葉があるんです。私は経済を活性化することによって、どん底になっている英国人に自信を取り戻させたい。しかし、私の最後の改革の目的は、かつてあのビクトリア時代に英国人が持っていた公に対する貢献とか、自己犠牲の精神とか、これを取り戻すことであるということを、サッチャーが言っているんですよ。その限りにおいては非常にいいことですよ。最後に、彼女は原理主義的なことをやり過ぎちゃって国民の批判を受けて政権を失ったということはございます。
だから、いま、日本がこれから進めようとしている教育改革は、安倍総理というか、当時の自民党総裁候補が書いた書物の先生は印象が強過ぎるのかも分かりませんが、いろいろな方のやっぱり意見を広く聴いて、特に教育というものは、100人いれば100人とも教育を語れる、逆に言うと決め手がないものであるだけに、英国のサッチャーの教育改革も参考に当然するでしょうけれども、中教審、あるいは小渕内閣のとき、中曽根内閣のとき、やっておられたようなこともやっぱり日本としては参考にすると。それから、参考にするという意味は、そのまま受け入れるというのじゃなくて、失敗もまた参考にするということですよ。その両々相まっていい日本のものをつくっていくと。
だから、こうしてお話ししていることも参考にして、これからやっぱりやっていかなければならないのじゃないでしょうか。
サッチャー教育改革の失敗を、日本は学ぶ必要がある
水岡 俊一・議員
イギリスのサッチャーによる改革のなかで、教育改革というところに視点を置きますと、いろんな学者がいろんな意見を述べているとは思いますが、私は、やはり競争原理主義がその中心にあって、その主義を通してイギリスの教育を改革していこうという取組がなされたのだろうと思うのです。
その結果として、現実として現れている事象として、私は、所得格差、貧富の格差によって学校間格差が拡大をしていったのではないか、このことが一つ。それから、ナショナルテストの重圧、つまり点数ですね、点数が絶対であるという点数至上主義によって学校の授業がゆがんできたのではないか。それから、深刻な人材不足、深刻な校長不足ですね、教員の意欲が減退をしてしまった、そして早期退職希望者がとてつもなく増えてしまった、こういうような結果としての面があるのだと思うのです。
実際には、2006年5月には、全英校長会という組織が今年の年次総会で、イングランドにおけるテスト結果の公表をするのはやめようとか、そういう決議を出した。あるいは、ウェールズでは、ナショナルテストそのものをもう来年には全廃するのだと、こういうような動きがあるのですね。
いま、日本が、そのサッチャーの教育改革を進めようとするなかにおいて、こういったイギリスの失敗、そしてイギリスが、いま労働党政権のなかでこういった取組を、あるいは、それは政権だけじゃなくて、教育現場のあらゆる人たちがそういった改善の取組をやっているということについて、大臣は、このまま日本において導入をすれば非常に危険ではないか、その点についてお考えがあればお聞かせをいただきたいと思います。
伊吹・文部科学大臣
これは先生、先ほど来申し上げているように、先生は安倍首相が首相に就任する前というか自民党総裁に当選する前のご本をお読みになって、その印象が非常に強いから、そのとおりいま教育改革を進めるという前提でお話しになっておりますが、それであればなぜ教育再生会議を開いて、しかもその人選をしたときに、多くのマスコミは安倍さんの意図とは全く違う人がたくさん入っているとか、そういうことを言っているわけでしょう。中教審もありますよ、国会もこうやって議論しております。だから、サッチャー改革をなぞるような改革をするということは政府としては考えていないのじゃないでしょうか。
ただ、そのなかでいいものがあれば、もちろん国民のために喜んで取り入れるということだと思います。
ぜひ、先生にご理解していただきたいことは、いま、市場原理、競争原理ということが、結果、教育が悪くなったということをおっしゃいましたけれども、資金の効率的利用ということについては否定はされないと思いますね。それはなぜかというと、学校現場で使われているお金というのは、国が支出をしていようと、地方自治体が支出していようと、有権者の血税であるということには変わりはないわけですよ。このお金が本来効率的に使われて、多くの有権者がこれで満足しているなという状態であれば、教育改革の話は起こってこないんですよ、本来ね。時代の趨勢(すうせい)に応じたように教育のカリキュラムを変えていこうとか、そういうことは別途あると思いますが。
ですから、サッチャー改革がなぜ出てきたかというその背景、これは私が4年間英国に行って実感しております。この公職にある者の効率化原則というものが全く地に落ちていたというのが、当時の英国なんですよ。
先ほどタウンミーティングのお話もいろいろありましたけど、あんなことは普通の民間会社や政治家の事務所じゃ起こり得ませんよ、限られたお金でやっているんだから。ですから、教育の現場も、国民の税金を扱っているのだという、やっぱり基本的な意識をもう一度しっかり持って、みんながこの教育現場を良くしていくという気持ちを持ってやっていくというのが教育再生、教育改革の一番の私はポイントだと思います。
ですから、サッチャーは、資金を効率的に使われてないという現状を考えたときに、資金を最も効率的に使うシステムとして、ある意味では市場化というメスを使ったのだと思います。
しかし、市場化には市場化の欠点があるということも私はよく理解しております。だから、そんなにご心配いただかなくても、国会のご意見も聴きながら、極端に流れないように私はやりたいと思っております。
水岡 俊一・議員
血税をいかに効率的に活用していくかという点については非常に重大なことでありますし、そのことがサッチャー政権のなかでうまく効果を発揮したという部分が、それはあるというふうに思います。
まあ、100歩譲って、それが教育の世界でもあったのだというふうに理解をいたしますが、しかし、例えばそういった競争原理の教育界において、例えば学校間格差が起こったという話を先ほどもしましたが、学校選択制という問題を取り入れたことによって、レベルの高い学校ができたり、あるいはそうでない学校ができて、レベルの高い学校に対して多くの知的レベルの高い家族、あるいは子どもがそこに殺到をしていく。しかし、定員枠がある。どんどんそういったことを繰り返すなかでレベルが上がり、そこに入ってくることが難しくなってくる。そういったことが起きているなかで、その学校区の土地が高くなってしまって、つまりお金を持っている人しか、その学校のそばには移っていけないというようなことがイギリスでは起こった。そういうことも出てくるわけですよ。
ですから、そういった競争原理を、十分にその怖さを認識しながら日本の教育改革に取り入れていかなきゃいけないということについては、十分ご認識をいただきたいし、そのことはもうお分かりのことだろうとは思います。
そこで、大臣は、先ほど教育再生会議のお話をされました。私は教育再生会議のなかのメンバーすべてを存じているわけではありませんが、やはり市場経済主義を最も強く主張されるような方々が割に多いのではないかというふうに感じております。そういったなかで、市場原理主義を、いまの文科省がやろうとしている、伊吹文部科学大臣がやろうとされている教育改革の上に、さらに教育再生会議から、そのような視点から大きな力が掛かってくるという危険性はないんだろうかと思うんですね。これは、一つは不当な介入かもしれません。大臣は、地方公共団体において、教育長あるいは教育委員長を中心とした教育委員会が、首長、知事や市長からのそういった圧力を受けるかもしれないというふうにおっしゃった。私は、日本の教育全体を眺めてみるなかで、文部科学省というところが懸命に日本の教育改革をいかにするべきか、ということを考えておられるなかで、一方、教育再生会議があって、その再生会議のなかで、いま私が言うような懸念も抱かれる。そういった情勢のなかで、私は非常に心配をするのでありますが、伊吹大臣としてはいかがでしょうか。
伊吹・文部科学大臣
まず先生、言葉を整理しておきたいと思います。
教育に市場原理という言葉を盛んに使われますが、私は効率化原理という言葉を使いたいと思いますね。市場原理というと、いかにも金もうけ主義のような印象を与えます。それが、その言葉を使うことによって、教育現場の非効率、あるいは国民の負託にこたえていない国民の血税の使い方というものが容認をされるということはあってはいけない。それは、世論調査がすべてではないということをさっきも私はお答えしましたけれども、世論調査の多くは、やはり学校現場における不満が非常に高いですよ、率直に言って。これは反省を、私を含めて教育関係にある者みんなが反省しなけりゃならない。この資金を、つまり国民の血税を効率的に使うための一つのメソッド(方法)として競争原理、市場原理とあえて私、申しません、競争原理を否定するということは、私はいたしません。
ただ、競争原理にいろいろな欠点があるということは存じております。先生がおっしゃったような状況が生ずるおそれもあります。しかし、逆に、教育行政を預かっている者の資金の配分として、むしろ下位に落ちた学校を上の学校へ引き上げていくというような政策を取る、差別化のなかで取っていくというやり方もあるんですよ。しかし、すべてが平等にやっていこうというイズムでもって人間社会が発展をしたということは歴史上ございません、残念ながら。ソビエト・ロシアも崩壊しましたし、東欧の諸国もみんなつぶれてきておりますから、中国もいま、市場化によってあれだけの経済発展を遂げているわけですから、そのことを否定するということは私はいたしません。ただ、欠点があるということは十分わきまえて運用したいと思います。
それから、教育再生会議は、これは法律的な位置づけは閣議決定によってできた安倍総理大臣への、まあ、アドバイザリーボード(諮問委員会)なんですよ、これはね。ですから、ここへの提言は安倍首相になされるわけです。首相は当然賢明な方ですから、行政権は内閣が持っているわけですから、私も内閣の一員ですから、教育の分野を私だけで担当しているわけじゃありません。職業教育もあれば産業教育もあります。
で、各々の大臣に当然、総理はご相談があるでしょう。現実的にできるものと進んで取り入れなければならないものと、いろいろそこに話合いがされるわけですよ。だから、教育再生会議は、いまの法律、いまの閣議決定を超える提案を当然していただいて結構なのです。しかし、やれるかやれないかは首相と私どもが最終的に判断をして国会の判断を仰ぐということは、これはもう、日本国憲法上当然のことなんです。そういう前提で私は受け止めております。
ブレア政権で、義務教育費全額国庫負担に
水岡 俊一・議員
競争原理を導入せざるを得ないという考え方については、大臣がそうお考えになっているということはよく分かりました。
しかし、あくまでもこれは子どもの立場に立って考えますと、子ども一人ひとりの教育を受ける権利というのは等しいわけでありますから、教育の施策として、政府の施策として、その受ける権利に差をつける、差別化をするというようなことを結果的にも意思的にもやっぱりやっちゃいけないということです。私は、それは、教育行政に非常に重要な視点であり、私は、ぜひ大臣にも引き続きお持ちをいただきたいと、思うところであります。
そういったことを教育基本法の政府案のなかに、やはり今後の大きな方針ですから、そういったことをきちっと述べていただける、そういうような理解ができるような政府案にもう少し練り直していく必要があるんではないかと思うところであります。
そこで、官房長官にお伺いをしたいのでありますが、イギリスは、いまサッチャー政権の後、ブレア政権が続いてきました。それで、ブレア政権でやはり非常に大きな深刻な問題としてとらえているのは、青年の失業状態だろうというふうに思うのですね。それから、福祉の重点として青年が社会参加をどのようにしていくのかというような問題。それの一つの大きな手段として、青年がどうやって教育を受けていくのか、若者の教育を受ける権利をどうやって保障していくのか、こういうことが非常に中心課題になってきているわけです。
そんななかで、ブレアの労働党政権下、2006年ですから、今年からイギリスは義務教育における費用は全額国庫負担という、そういう制度に移行しました、いまのイギリスの経過のなかで。そういったことを、いま、日本として、どういうふうにとらえているのかなと、私は疑問に思うところなんですね。この間、私が当選をさせていただいてから、この間でさえも、義務教育費国庫負担制度が2分の1から3分の1へ減っていくというような、その動きとは逆な動きでありますから、こういったことについて政府としてどういうふうにお考えをいただいているのか、ぜひ官房長官にお伺いをしたいと思うんですけど、いかがでしょうか。
塩崎 恭久・内閣官房長官
これはすぐれて教育論のジャンルの議論ではないかなと思います。したがって、本来、伊吹大臣のお答えすべきことかなと思いますが、やはり日本では三位一体の改革のなかで、この義務教育の国庫負担金につきましては2分の1から3分の1にしたばかりでございます。今回、教育基本法の議論で民主党の案と政府案との違いのなかで、責任をどっちが持つんだと、こういう話が大分出ております。ブレアの方は2006年度から義務教育に掛かる経費、人件費、運営費などだそうでありますが、使途を教育に限定した負担金、いま先生がおっしゃったようなものを教育・技能省が全額国庫負担、言ってみれば一般財源化されていたものが、今度逆に使途を指定した交付金になったということで、やや日本と逆の方向へ行っているわけであります。
結局、ここはまさに先ほども冒頭申し上げたように教育論であって、どこが責任持つのだと、どういう責任の持ち方をするんだ、それが本来の教育の目的を達成するのにどうしてそれがいいのかということを、それぞれ考えているんだろうと思います。日本の場合には地方分権ということで、今回、教育委員会の問題もそうでありますけれども、どちらかというと、これまでは地方にという、責任の重心が地方の方に行っているわけであります、日本は。
イギリスの場合には、ブレアは今度逆をやっているということで。さあ、これはどっちがうまくいくのか、まさにそこは大いに議論をしなければいけないことでありますけれども。
今回、教育基本法では、やはり国と地方が分担し合うということで責任を考えているわけでありますが、イギリスは少し逆だなということで、どっちがより良い教育ができるのかというのは、まさにこういった議論のなかでわれわれが決めていかなきゃいけないことじゃないかなと思います。
いろいろ、いじめの問題等々、あるいは未履修の問題が出てきて、教育委員会のあり方、あるいは学校そのものへの、まあ何といいましょうか、有効なる教育をやるための責任の所在はどうあるべきなのか、考えさせられるブレアの動きであります。取りあえず日本は、日本でいま、もうすでに動き出している流れがありますので、そのなかで日本はいい教育をどうやって、あと知恵を出していくのかということかなと思います。
教育条件整備は国の責任
水岡 俊一・議員
教育のお金を国が負担をするという考え方は、これは要するに、言い換えてみれば、教育条件整備を国がやっていくんだ、そのことにほかならないというふうに思うんですね。その面において、文科大臣、そして文科省としてもそれをできることならば拡大をしていきたいという考えは、まず間違いないだろうと思います。
ただ、そのなかに、効率的にやっていかなきゃいけないということは十分お考えだという話は、もう重々お伺いをしているところでありますが、全体として減っていくということになれば、これは国としての教育条件整備をやっていく大きな障害になってくるわけです。
そういった意味で私は、官房長官にお伺いをしたわけでありまして、今後の日本の進むべき方向として、国が、やはり何かの基準を持ちながら教育にお金を掛けていく、教育の条件整備をしていくんだという考え方をぜひとも、これまた政府案のなかに盛り込んでいただきたいというふうに私は思うところであります。
民主党案はその点について明確な指標も持っているわけでありますが、今日は、また、それをご紹介する時間がありませんので、次回に回したいと思います。
最後のお時間を使いまして、次の問題に参りたいと思います。
次は、愛国心の問題を若干質疑したいと思っております。
愛国心という言葉、あるいはナショナリズムという言葉が、よく近年、叫ばれるなかでありますが、伊吹大臣にお伺いをしたいのであります。世界のナショナリズムの研究をしていきますと、伝統文化であるとか、あるいは共通な言語を基盤とした、そういったナショナリズム、これを、通例、言われるのは東のナショナリズムというふうに言いますし、また自由とか平等、民主主義を尊重する合理的なナショナリズムのことを西のナショナリズムと、こういうふうに呼ぶように私も聞きました。
こういったことについて文科大臣としてどういうふうにお感じになっているのか、ぜひお聞きをしたいんでありますが、この間の議論のなかで、愛国心という、そういう言葉を法律のなかに持っている国は一体どれくらいあるかという話が各委員と大臣との間で交わされたわけであります。これが意外に少なかったということでありますし、また少ないなかでも韓国は近年それを取り外したという、そういった事例もあります。
そういった状況のなかで、東のナショナリズム、西のナショナリズムというような観点から、大臣の見解があればお聞きをしたいと思います。
伊吹・文部科学大臣
言葉にこだわるようですが、愛国心ということはですね、これはナショナリズムの訳ではないと思いますよ。ナショナリズムはもう少し別の意味に使われて、愛国者というのはパトリオットという言葉ですよね。ですから、東のナショナリズム、西のナショナリズムという言葉は、私はよく存じませんが、われわれの提案している政府案には愛国心という言葉はそのままの用語としてはございません。
そして、何というのでしょうか、先ほど先生がおっしゃった、世界のなかで基本法に愛国心という言葉を規定している国は極めて少ないというよりも、教育の基本法を持っている国がかなり少ないということだと思うんです。そのなかで、愛国心を書いているのは中国とかロシアとか、従来の共産主義国家、社会主義国家が割に多いですから、東と西という分け方では、先生がおっしゃっているようなことが当たるのかなと思って聞いておりました。
水岡 俊一・議員
時間があればその点についてもう少しお話もしたいのでありますが、最後に、愛国心、そして国を愛する態度を評価できるのか、できないのかという問題については、もうこれまで議論もされてきました。大臣としては、そういったものは評価できないんだというふうなお考えを述べられました。
実は、学校には通知表というのがございます。通知表というのは学校が独自に作るものであると考えておりますが、学校には保管する資料として指導要録というものがございます。指導要録は何に基づいて作られているかというと、これは学習指導要領、そして学習指導要領を基にした文科省の告示によってこういうふうに作りなさいよという指導がなされているわけです。
そういったなかで、例えば小学校の学年別評価の観点の趣旨のなかに、社会科として6年生には、国を愛する心情を持つとともにという評価の観点がございます。こういったことが残っていけば、大臣がおっしゃったこととは少し違った状態が学校のなかに残っていくのではないか。このことをたくさんの方が指摘をされていると思うのですが、事ここということにこだわって申し上げたことがないので、最後に大臣にこのことについて何かお考えがあればお聞かせをいただきたいと思います。
伊吹・文部科学大臣
愛国心という言葉はこのご提案している基本法のなかにはございませんが、私は、これは非常に評価が難しいと言ったのは、多分先生がそういうご質問をされるんじゃないかと私は思っておったんですが、先生の感じておられる愛国心と、私の感じている愛国心とはおのずから差があって当然なんですよ。ですから、評価する者の愛国心の基準で各々の人の心のなかを評価するということは適当じゃないと。ですから、この国に生まれて良かったと、そして父や母のなかではぐくまれて良かったと、祖先の私はおかげでいまここに存在していると、私の愛国心というのは多分そういうものだろうと思うんですね。
ですから、各々の学校で自分が生まれてきた歴史だとか、あるいは史実だとか、こういうことをどの程度マスターをして、そしてそれを、積極的に勉強していくことによって自分の心のなかが形成されていくという態度を評価することは、私、構わないと思いますよ、その学習態度をですね。しかし、それがどういう心を形成するかということを評価してしまったら、これはどうしようもないことになるんじゃないですか。
だから、いまの学習指導要録等についても、なぜそれじゃ君が代・日の丸のときに文部科学省を訴えられなかったんですか、東京の関係者は。やっぱり東京の教育委員会を訴えておられるわけですよ。ですから、個々の教育委員会が学習指導要領に基づいてどういう、さらに細かな指導をしているのか、校長にゆだねられている通知表だとか、何かを校長がどういう形で作っているのか。西岡先輩の持論であれば、それは一刀両断に文科大臣が辞めさせられます。しかし、現行法律の下ではそれはなかなか私にそれだけの権限がないということですよ。
水岡 俊一・議員
この問題は、やはりまだ引き続いて論議をしなきゃいけないように私は感じました。また次回の質問のときにお願いをいたします。
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